ゆりかの日記

2047年6月11日 逝去

追試になったのでアイデンティティについて学んだ。

アイデンティティとは」というように調べると、いくつものサイトが出て来ますし、最近では非常に広く一般的に使われる言葉であるので、高校の国語などでも必ず一度は目にするでしょう。

 

しかし、このような場合の「アイデンティティ」は、その一面しか捉えていない、というより、広く使われるようになったことで「アイデンティティ」にはどうも2つの意味が生じていると考えるのが妥当だと思います。(狭義のアイデンティティ、広義のアイデンティティというとしっくり来るかもしれません。)

 

では、一般に使われる場合、すなわち狭義のアイデンティティはどういう意味か。ブリタニカ国際大百科事典の説明が分かりやすかったので引用します。

 

 

アイデンティティ

自己同一性などと訳される。自分は何者であるか,私がほかならぬこの私であるその核心とは何か,という自己定義がアイデンティティである。何かが変わるとき,変わらないものとして常に前提にされるもの (斉一性,連続性) がその機軸となる。アイデンティティの問題は,常に心理・社会的,心理・歴史的であり,個人史においてはとりわけ青年期に顕在化するが,1960年代の黒人解放運動,第三世界の自己解放運動の中でも重要な役割を果たしてきた。

 

 

このように、自分が自分であるという確信を持つことであったり、自己を自己たらしめたりするものについてよく使われるのが狭義のアイデンティティです。

 

 

さて、では広義のアイデンティティはどうなのか。

ここでまず、では「アイデンティティ」という概念を提唱した人物の話まで戻ります。

 

 

アイデンティティの提唱者と言われる(提唱者と言うのかは分かりませんが、彼の影響でアイデンティティという言葉が広く使われるようになったのは事実でしょう。)のは、発達心理学者のエリク・ホーンブルガー・エリクソン、そうマニアックな人ならお馴染みのあの

「セレン・セーレンセン

ヨハン・ヨハンソン

「グンダー・グンダーセン」

に並ぶあの「エリク・エリクソン」です。

 

エリクソンは「心理社会的発達理論」を提唱し、その中の8つの心理社会的発達段階のうち、青年期(中・高・大学生のあたり、原著に当たらないと正確には分からないのですみません。)にアイデンティティを巡る混乱が起こると述べます。

どうすればアイデンティティが獲得されるのか…という話は置いておき、ここでのアイデンティティの意味、つまり広義のアイデンティティについてです。

 

 

まず主観的な側面から考えた時、アイデンティティの構成要素としては「自己斉一性・連続性」と、

自分がなろうとしている自分自身が、他者から見た自分自身と一致しているであろうという感覚(主観的な話なので、一致していることではなく、一致しているであろうという自信)の2つが挙げられます。谷冬彦さんの言葉を借りて、後半部分を「対他的同一性」と呼ぶことにします。

 

アイデンティティの構成要素の一つであるこの「自己斉一性・連続性」が、いわゆる狭義のアイデンティティにおいて中心となることが多く、先ほど引用したブリタニカ国際大百科事典の説明とリンクしていますね。

 

また、他の構成要素として、自分が目指すものが明確に意識されていること、谷冬彦さんの言葉を借りて「対自的同一性」かあげられます。

 

ものすごーく簡単に言えば、理想となる人物像を目指すことです。幼い頃は、「お父さんみたいになりたい!」などと自分の周囲の人を理想として目指しますが、成長すると理想とする自分は違うことに気がつきます。そして本当は自分は何がやりたいのか、という「オリジナルな」理想の自分を目指します。これが青年期の難しい悩みで、自分の目指す方向が分からないと「生きる意味は何だろう?」となるわけです。

アイデンティティ」と言う時にこの意味で使われることもありますね、2つの意味ではすみませんでした。難しい。

 

そして、あと一つアイデンティティの構成要素があげられます。アイデンティティは何も心理学だけの用語ではなく、社会学においても広く使われます。エリクソンが唱えたのは「心理"社会的"発達理論」でしたね。

アイデンティティは個人と社会の関係性を考える際にも広く用いられるのです。

現実の社会の中で、自分を意味づけられるという、自分と社会の結びつきの概念、これをまた、谷冬彦さんの言葉を借りると「心理社会的同一性」と言います。

「社会的アイデンティティ」という言葉がありますが、この部分を取り出して発展させたものでしょうか?この言葉自体も人によって使われ方が違うようで分かりませんが、「属している集団を基準に自分が何者であるかを考える」ことは全く異なる概念です。

現実の社会の中で生きていける、自分はここに居ても良いんだ!と思えることが、この「心理社会的同一性」に近いですかね。

 

アイデンティティという語を使う時に、社会との関係性という部分を抜かしがちですが、エリクソンの述べる発達段階の青年期においては、自分は何者か?という葛藤を乗り越えることで、集団の中で「役割」を獲得し、忠誠心や帰属感が導かれるというので、これは外せないでしょう。

 

 

『Identity and the lifecycle』くらい読まないと正確なことは何も言えないけど。

また、これはあくまでもエリクソンの提唱したベースの話であって、ここからいくらでも話は発展していきますし、今でも議論されている部分です。エリクソンは明確に4つの概念を提唱したわけではなく、何度か言葉を借りた谷冬彦さんが論文で4つの下位概念を設定しているので、「エリクソンアイデンティティに4つの側面があると提唱して〜」などとまとめられているサイトを見て盲信するのは良くないですね。

社会心理学であっても、日々議論され様々な考えがされているというのは面白いです。