本の感想
少し前に、図書館で見つけた『翻訳家の仕事』という岩波の新書を読みました。
37人の翻訳家が、それぞれの思うところを短く述べたエッセイ集のようなものです。
これだけ人がいると、まるで逆なことを言っている人もいて、1人に傾倒せず中立な立場で眺めることが出来るのが良いところですね。
さて、みなさんも学校で英文和訳をしたこともあり、わかると思いますが、翻訳にはひとつ問題があります。
どれだけ原文に忠実に訳すのか問題です。
"I love you."にしても、「私はあなたを愛している。」と訳すか「愛してる。」と訳すのか、くらいは学校の英語でも多少悩むところでしょう。
これを「ずっと貴方の隣にいたい。」と訳したら、それは翻訳ではなく、創作あるいは著者への冒瀆と言われてしまうのかもしれないのです。
夏目漱石も、海外文学を国内に翻訳しろ!と言われていたら「月が綺麗ですね。」とは訳出していないと思います。
加えて、例えば英語では、日本語と違って「I」や「my」が連発しますから、それをその都度文字に起こすのかも問題です。
英語はそうやって「I」や「my」が頻発して、その度に個人が意識させられる個人社会なのだから、出来る限りそのまま訳すのが"原文に忠実"なのだろう。 と言う人もいます。
翻訳する際に、原文の単語数と和文の単語数を一致させるようにしていた という偉人もいたそうです。しかしそれでは、「翻訳」ではなく、ただの「和訳」ではないのか。
この問題は解決しません。
もちろん
My husband and I went to my parents' house.
を、
私の夫と私は私の両親の家に行った。
と訳す人は少ないでしょうが。
また、慣用句やその国の文化を踏まえた言い回しも困りますね。
It is no use crying over spilt milk.
という文に対し、
溢れたミルクのことを嘆いても無駄だ。
と訳す。そうすると、聡明な読者から「訳者さんはこの諺をご存じないのですか?」とお手紙が届くらしいです。
やれやれと、アメリカ合衆国インディアナ州在住のマイクが「覆水盆に返らず。」なんて言うはずがないし、「過ぎ去ったことを嘆いても無駄だ。」などと訳す。
これで訳者の小さなプライドは守ることが出来ましたが、マイクの日常に潜むミルクの存在が失われ、朝にコーンフレークと共に牛乳を飲む情景は浮かばず、諺を使う彼の知性(あるいは、マイクくんは小学生で、学校で習った表現を使いたかったのかも。)が跡形もなく消え去ってしまいました。これで良かったのでしょうか。
*溢れたミルクのことを嘆いても無駄だ。
訳注:過ぎ去ったことを嘆いても無駄だという言い回し。
なんて迂遠な奥の手を使いましょうか…。
そして文化の違いといえば、宗教問題。普通に海外文学を読んでいても、聖書の内容を知らないとよく分からない表現に遭遇しますよね。
まあそれは翻訳に限ればあまり困らないかもしれませんが、では何が問題か。
落胆した主人公くんが
"Oh, my God!" と。
コイツが曲者らしいのです。
God、神なんですよね。「おお、神よ!」と書いておくか?原文に忠実に。
「なんてこった!」などと訳されている場合が多そうですが、"gosh"や"goodness"でなく"God"なのですから、それは彼・彼女の宗教に対する考え方を表せないのかもしれません。敬虔なクリスチャンであれば、"God"を避けるという話もあります。(モーセの十戒に、神の名をみだりに唱えてはならない、とあります。)
んー、いっそのこと「オーマイゴッド!」なんて訳してみるか。私は変なおっさんの顔が頭に浮かんで来てしまいます、なぜか。
ちなみに、村上春樹さんは何かの翻訳で(『キャツチャー・イン・ザ・ライ』かな?)
「ジーザス・クライスト!」と訳したんだとか。